「ねえ、聞いてくれる?」
台所で紅茶をいれながら、私はそっとあなたに声をかけた。冬の午後、曇り空が窓の外に広がる。まるで、私の心模様を映し出したみたいに。
「最近さ、黒いパンティばっかり履いてるのよね」
唐突な話題に、あなたは笑いそうになったでしょ?でも、真剣に聞いてほしいの。これ、ただの好みの問題じゃないのよ。
ガスコンロの上で湯気が立つポットを見つめながら、私は続けた。
「昔はね、もっと可愛らしい柄のパンティとか、明るい色のものばかり選んでたのよ。ピンクとか、花柄とか。でも、40を越えたあたりからね、何となく黒とか、レースとか、そういうのばかり手に取るようになったの。」
リビングのソファに座り、湯気の立つ紅茶をテーブルに置いた。クッションを抱きしめながら、少しだけ視線を落とす。
「なんでかなって思ったの。たぶん、少しずつ自分の身体が変わってきたからだと思うのよ。お腹のたるみとか、肌のくすみとか、いくら頑張っても若い頃の自分には戻れないって気づいたのよね。でも、それを認めるのが悔しくて、せめて下着だけでも自分を綺麗だと思えるものを選びたくなったの。」
ふっと笑みを浮かべたけど、その笑顔の奥には少しの苦みがあった。
「でもね、そんな私の選択に、心の奥底では少し罪悪感みたいなものもあるのよ。なんて言うのかしら…もう、そんな歳じゃないのにっていう思いもあって。でも、黒いパンティとかレース付きのパンティを履くと、不思議と自分が少しだけ強くなれる気がするの。」
私は立ち上がり、寝室のタンスから引き出しを開けた。そこには、何枚もの黒いパンティが綺麗に畳まれて並んでいる。指先でそっと触れると、滑らかな感触が心を穏やかにしてくれる気がした。
「ね、これ見て。このレースの模様、可愛いでしょ?ちょっとした贅沢だけど、こういうものを身につけるとね、自分がまだ女性として輝けるんじゃないかって思えるのよ。」
少し黙ってから、また言葉を紡ぐ。
「でもね、本当は…これを履いても、鏡を見るたびに複雑な気持ちになるのよ。若い頃の自分には戻れない現実を突きつけられるから。だけど、それでも履くの。黒いパンティもレースも、私のささやかな戦いなのよ。」
紅茶を一口飲んで、私はため息をついた。
「ねえ、こんな話、どう思う?変だと思う?」
あなたはどう答える?
あなたが返事をしないのを見て、私はくすっと笑った。
「言葉に困るよね、こういう話。でもね、私、ずっと誰かに聞いてほしかったの。たとえば娘に話そうにも、彼女にはまだ遠い未来の話だもの。主人に話したって、笑って流されるだけ。だから、こうしてあなたに話してるのよ。」
窓の外を見ると、薄曇りだった空がほんの少し明るくなっている。冬の日差しがレースのカーテン越しに差し込んできて、部屋全体が柔らかな光に包まれた。私はその光を眺めながら、少しだけ声のトーンを落とした。
「本当のところね、黒いパンティを履くようになった理由、まだ自分でも全部はわかっていないの。もしかしたら、自分を守りたかったのかもしれない。ほら、黒って強い色でしょ?自分が弱くなっているって感じたとき、その弱さを隠したくて手に取ったのかも。」
そう言って、私はカップを両手で包み込む。紅茶の温かさが手のひらから伝わってくる感触が心地よかった。
「それから、レース付きのパンティ。あれはね…ふふっ、自分の中の女性らしさを確認したかったのかもしれない。40代になって、鏡を見るたびに『これが私の体?』って思う瞬間が増えたのよ。だから、せめて下着くらいは可愛いものを選んで、まだ女性として大丈夫だって自分に言い聞かせてるの。」
そこで少し間を置いて、私はあなたの顔をじっと見つめた。
「でもね、問題は、その選択を心から楽しめない自分がいるってことなの。こんなことしても無駄なんじゃないかって思うときもあるのよ。例えば、スーパーの試着室でパンティを試着してるとき。『こんな歳して、何やってるんだろう』って急に思うことがあるの。」
紅茶を飲み干してから、私は続けた。
「でも、そんなときにね、レースの模様や布の肌触りにふれると、ふっと気持ちが救われるの。『これでいいんだ』って思えるのよ。それが、たぶん私の唯一の拠りどころなのかもしれない。」
私は立ち上がって、再びタンスの引き出しを開けた。そこからお気に入りの黒いレースパンティを取り出し、あなたに見せながら微笑んだ。
「これ、どう思う?素敵でしょ?私にはこれが、戦闘服みたいなものなのよ。日常という戦場で、少しでも強く、自分らしくいられるためのね。」
あなたが笑いながら「確かに素敵だね」と返事をしてくれたとき、私は心の中で少しだけ安堵した。こうして誰かに話すだけでも、重たいものが少し軽くなった気がした。
「ありがとう、聞いてくれて。こういう話って普段できないから、本当に嬉しいわ。」
そう言って、私は黒いパンティをそっと引き出しに戻した。
部屋には再び静けさが戻り、冬の日差しがやさしく二人を包んでいた。その光の中で、私は自分の選択に少しだけ自信を持てたような気がしたのだった。
「ねえ、こういう話って、やっぱり他の人もするのかしら?」
私は湯気の消えたカップを両手で包み直しながら、ぽつりと問いかけた。
「若い頃って、友達同士で何でも話せたじゃない?恋愛のこととか、ファッションのこととか、たまに下着の話だって。それが、いつの間にかこういう話はしなくなるのよね。何か恥ずかしいというか、年齢を重ねるとそういう話題自体が遠ざかっていくの。」
窓の外では枯葉が舞い上がり、木々の間を風が吹き抜けていた。その音をぼんやり聞きながら、私は小さな声で続けた。
「でも、本当は話したいのよ。たまには誰かに『最近こういうの履いてるの』って言って、『あ、私も!』なんて盛り上がりたい。でも、そんな話ができる相手がいなくなってるのよね。」
ふと、あなたが何かを言おうとした気配を感じたけれど、私はそれを遮るように笑った。
「ごめんなさいね、私ばっかり話して。こういうこと、日常生活では誰にも話せないから、つい止まらなくなっちゃうのよ。」
立ち上がってカップを片付けにキッチンへ向かう途中、タンスの引き出しが視界の片隅に映った。引き出しの中に並ぶ黒いレースのパンティたちが、私をそっと見守っているように思えた。
「でもね、あなたに話してみて思ったの。たとえ他の誰かに理解されなくても、自分が自分を認めてあげることが大切なんだって。」
私はキッチンに立ち、静かに水道をひねった。流れる水の音が心のざわつきを少しずつ洗い流していくようだった。
「黒いパンティも、レース付きのパンティも、私にとってはただの下着じゃないのよね。それを選ぶことで、まだ少しでも女性である自分を愛したいっていう気持ちが表れてるのかもしれない。」
再びリビングに戻り、あなたの前に座り直した私は、少しだけいたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「ねえ、今度はあなたの話を聞かせてくれる?私ばっかり喋ったんじゃ不公平だもの。どんな話でもいいから、あなたの心の中をちょっとだけ分けてくれない?」
そう言いながら、私はあなたの顔をじっと見つめた。その瞬間、まるで黒いレースのように、私たちの間に新たな絆が生まれたような気がしたのだった。
冬の日差しが次第に弱まり、部屋の中にはゆっくりと影が伸びていく。けれど、私の心の中には、小さな灯がぽつりと灯ったままだった。それはきっと、誰かに自分の気持ちを話せたこと、そして少しだけでも理解してもらえたことによる温かさだったのだろう。
あなたが微笑みながら「そうだね、話してみようかな」と言ってくれたとき、私は心の中でほっとした。それは、まるで長い冬が明けて、春の兆しが顔をのぞかせたような感覚だった。
「ありがとう。あなたの言葉が、私にとってどれだけ嬉しいか…きっと言葉では表せないわ。」
そう言いながら、私はソファの背もたれにゆっくりと体を預けた。
「ねえ、実はまだ話してないことがあるの。黒やレース付きのパンティを選ぶ理由の中にはね、私の過去と向き合う時間が含まれているのよ。」
窓の外には、すっかり夕焼けの色が映っていた。オレンジ色の光が部屋の中に差し込み、私たちの影が伸びていく。その影を見つめながら、私は言葉を続けた。
「私ね、若い頃からずっと、誰かに認められるために自分を飾ることが当たり前だと思ってたの。親の期待、友達の目線、そして恋人や夫の視線。それに応えようとして、外見も態度も全部相手に合わせてたのよ。」
ふと、あなたが首をかしげたのを見て、私はくすりと笑った。
「そうよね、今の私を見たら信じられないかもしれないけど、昔の私は本当に自分を持ってなかったの。だから、結婚してからも、何かがずっと物足りなかったのよ。」
リビングの片隅にある古びた写真立て。そこには、家族で撮った写真が飾られていた。写真の中の私の笑顔はどこかぎこちなく、まるで別人のようだった。
「でもね、40歳を過ぎてようやく気づいたの。私の人生は、私自身のためにあるんだって。それから、自分の好きなものを少しずつ選ぶようになったの。黒いパンティやレース付きのパンティもその一つ。それを身につけるたびに、自分が少しだけ自由になった気がするのよ。」
私はそっと手を伸ばして写真立てを取り、あなたに見せた。
「ほら、これが昔の私。笑ってるけど、心の中ではきっと何かを押し殺してたのよ。でも、今は違う。下着一枚を選ぶことだって、私の意思の表れなの。」
あなたは写真を見てから、静かにうなずいた。
「わかるよ。たぶん、そういう変化って誰にでもあるんだと思う。でも、自分で気づける人は少ないかもしれないね。」
その言葉を聞いて、私は胸がじんと熱くなった。自分の気持ちを誰かに理解してもらえることが、こんなに嬉しいなんて思っていなかった。
「ねえ、今日は本当にありがとう。こうして話してみると、心の中が少しずつ軽くなっていく気がするわ。黒いパンティを履く理由も、自分の中で少し整理できた気がするの。」
夕日が沈むにつれて部屋が薄暗くなり、ランプの柔らかな光が私たちを包み込んだ。私は立ち上がり、レースカーテンを閉めながら微笑んだ。
「明日もまた、新しい一日が始まるわ。きっとその日も、私は自分の選んだパンティを履いて、自分らしく生きていくのよ。」
あなたと過ごしたこの時間が、私の心に小さな灯をともしたように感じた。これから先も、自分を大切にしながら歩んでいこうと決意した瞬間だった。
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